――― あの。とにかく、失礼のないようにって。誤解されちゃいけないって思って。
酷くはにかんだ様子で、彼女は答える。
並んで歩きながら、時折俯き、時折笑いかけ。
健気で、誠実で、一生懸命な笑顔だ。
案内されたのは、デパ地下にある喫茶店。
彼女は存外、カジュアルな格好をしていた。
プリント柄のTシャツとクリーム色のパンツ、仕立てのいいキャメルのジャケット。
亜麻色の髪が、赤らんだ頬のあたりでふんわり揺れた。
誤解って?
「ごめんなさい。てっきり、奥様とご一緒にいらしてるのかと」
いえ、一人ですよ。
どうしてそんな?
どうしてそんな?
「さっきお電話した時、女の人の声がしたから」
ああ。
化粧品売り場の入り口にいたからですよ。
すみません、余計な気を遣わせて。
化粧品売り場の入り口にいたからですよ。
すみません、余計な気を遣わせて。
「いえいいんです!ごめんなさい!それならいいんです!」
仕事柄、人と会うのは慣れている僕だが、久し振りに緊張を覚えた。
初めて見る彼女の姿が、声の印象よりも大人びていて、
にも関わらず、想像以上に可愛らしかったからだ。
自分よりずっと、彼女の方が緊張していることは、すぐに判ったものの。
何か言わなくてはと思いながら、視線が合うたびに、微笑むことしか出来ない。
やれやれ。
中学生か、俺は?
気力を振り絞って、必死に糸口を探す。
名刺も渡さず、名も明かさずに。
可憐な見た目に似合わず、彼女はとある分野のスペシャリストだ。
その貴重な時間を、俺なんかのために割いてくれているんだから。
混乱する頭の中で、そう自分に言い聞かせながら、
優雅にお茶するセレブなおばさま方の視線を存分に感じつつ、
やっとの思いでインタビューを始める。
純白のティー・カップを持ち上げるたび、彼女はシャイな笑顔を見せるから。
堅苦しい話をしているのに、まるでお見合いしている気分だった。
こんなことで大丈夫か?と思ったけれど、呼吸を掴んだらあっという間で。
お互い、次の予定のために、移動することになった。
最後に挨拶すると、彼女は意外なことを言う。
「お仕事の印象から、もっとがっちりした、いかつい感じの方かと思ってました」
ああ、よく言われます。
すみません、マッチョじゃなくて。
すみません、マッチョじゃなくて。
「わたしよく、眠れなくなるので。私用でメールとかしてもいいですか?」
勿論です。
24時間、いつでもどうぞ。
24時間、いつでもどうぞ。
差し出された右手は、折れそうなくらい細くて。
正直、かなりどきどきしたのだが。
彼女はしっかりと視線を合わせ、微笑んでくる。
相手の目を見るのが死ぬほど苦手な筈なのに、
ここで逸らしたら、負けのような気がした。
刹那、
もっと早く出会えたら。
そんな言葉が、口をついて出そうになる。
如何にも、軽薄な僕らしい。
彼女と別れ、地下鉄に乗り、座席に深々と腰を下ろしてからも。
嫌な感触が胸を塞ぐ。
相手の気持ちに気付いてしまったことと、
それに応えられない現実を知っているから。
お前には無理だ。
お前には不相応だ。
雑念を追い払っている丁度その時、
胸ポケットに入れた携帯が、鋭く震えた。
【今日は本当にありがとうございました。とても楽しかったです。また、お会いしたいです。】
思わず天井を仰ぎ、目を閉じる。
目的の駅までは、あと5つほど。
そこへ着く間に、文面を考えよう。
誤解されず、且つ、信頼を損ねずに済むような、
何かしら気の利いた文句を。